2021年3月21日日曜日

2021年 3月20日 豊田ボルダー(浜松キャンパス卒業記念山行)

概 要

日時: 3月19日(金)~3月20日(土)

メンバー: 若月,杉山,坂田

行程:

  • 19日: 浜松→豊田・南山の公園(飲み会だけ)
  • 20日: 古美山にてボルダリング

記 録

四国から帰省した杉山と、今年卒業する若月・坂田と、浜キャン山岳部の同期3人が集まって飲み会とクライミングをしてきました。

ちなみに浜松は自分たちが卒業すると部員が0名。

静岡大学統合の話もあったりなかったりで、浜キャン山岳部が今後どうなるのかは全く分かりません。

そんな難しい話はさておき、今回は卒業を区切りに、浜松キャンパス山岳部で苦楽を共にした? 仲間たちと楽しいひと時を過ごしてきました。

3月19日(晴れ)

完全に飲み会目的で豊田・南山の公園に前泊。

今回のメインはクライミングよりも飲み会。

お酒を交え、現役時代のあれやこれやを楽しく話した。

会うのが2年ぶりとかのはずだが、二人とも全く久々な感じがしないから不思議だ。

真っ先に眠る杉山。

「現役時代もコイツすぐ寝てたよな」なんて坂田とのんきに話していたが、この後盛大にゲロっていた。

……俺のボルダーマットの上に。

3月20日(晴れ)

飲み会の翌日は、とりあえず古美山ボルダーへ。

ぼちぼち登っていた者、

現役時代からブランクがある者、

そもそも山にも岩にもそんなに興味がなかった者(笑)、

と、3人とも色々過ぎてどうなるかと思ったが、とりあえず登り始めてみる。

執念の腹ばいマントルを決めた坂田。

これぞ「痛いからクライミングは嫌いだ」と言う人の登り。

※坂田の発言です。

二日酔いもなく、普通に良いトライを見せる杉山。

吐いた甲斐があったね!

ブランク勢をほったらかし、本気トライを始める若月。

ちなみに文明開化という課題だが、今回は完登ならず。

何はともあれ、3人とも楽しく登れました!

ボルダーマットの大きなシミを見るたびに、今日の楽しい記憶が蘇ると思う。

(文:若月)

ま と め

良い仲間かはよく分からないし、そんなにお世話にもなってないけど、顔を合わせれば大学生に戻れる。そんな3人だと思う。

山岳部がふと恋しくなったとき、また集まる機会を作りたいので、そのときはまたよろしく!

あと、今回の飲み会で、記録が未掲載だった冬季赤石岳の山行が話題になった。

3年前の山行ではありますが、宮下(現主将)の了解も得て、この機会に記録をアップしました。

・2018年 2月11日~16日 赤石岳大倉尾根

リンクを貼っておきますので、興味のある方はご覧ください!

2021年2月12日金曜日

2021年2月12日(金)~2月14日(日)決算合宿 仙丈ケ岳(地蔵尾根)

日時:2月12日(金)~2月14日(日)

メンバー:CL宮下,SL蓮容,市川,中嶌,東,金子,増地,森,鈴木

行程:
12日:静岡= 柏木登山口駐車場―松峰小屋分岐―仙丈ケ岳―松峰小屋
13日:松峰小屋―柏木登山口駐車場=静岡

記録:
12日
いよいよ来てしまった決算合宿。先輩達がまともに関わってくれる最後の合宿であることをかみしめながら登ろうと思う。
駐車場にはそこそこの車が駐まっていたが、なんとかねじ込めた。
まだ暗い6時に出発する。

闇に浮かぶ森さん

市川さん

登山道を時々舗装された林道が横切る

30分ほどで孝行猿へ。この悲しいエピソードはまんが日本昔ばなしでアニメ化もしているらしい。
登り始めからやるせない気持ちに。

凍結しており油断するとツルン

登山らしくなってきた。

そのうち登山道へ。雪はそこそこだが、先行者のトレースによって踏み抜かない限り楽に歩かせてもらった。先頭の蓮容は半袖で進む。重量級は雪山への耐性があるようだが、これが終わると天敵である夏山が訪れ、蓮容は自らの熱で死ぬだろう...。

トラバースだが滑りも埋まりもしない

中央アルプスが望める 曇りだが見れてラッキー!

この尾根は、松峰や地蔵岳など多くのピークをトラバースするようにつけられており、優しさを感じる。(下山時は長く感じたが...)
道の状態がよく、松峰小屋はスルーしてさらに歩みを進め丸山谷の頭を過ぎたあたりで幕営。

どういう表情ですか笑

外で寝っ転がっていたら通行人が来て焦った 17時頃だったんだもの...

夜ご飯は鍋。森さんが自宅の食品用乾燥機で野菜を脱水してくれた。軽量で食感もおもしろく、ありがたい。
食後、ゆっくりしようとテントの外で寝そべっていたら寝てしまい、さらにそこに下山してくる集団が通りかかり焦った。
「大丈夫ですか??」
「追い出されたの???」
まさかヒトがこんな時間に通るとは思わず、油断していた。
外で寝転がるのが好きなんですよ~とかなんとか言ってやり過ごした気がする。
思ったより行程に時間がかかってしまったらしい。松峰小屋まで危険な場所はないが、時間も遅いため少し心配であったが、みなさん元気そうではあったのできっと大丈夫であろう。

13日
4時に起床。いつものように暗い時間から行動開始する。
歩いているうちに空が明るくなり、稜線が朝日に照らされていく過程が本当にきれいであった。
次第に明るく

2736m手前 尾根を少し外れた所を直登

本日は天気がよい。荷物も軽く仙丈ヶ岳山頂を目指す。
ところで、上記写真の坂、ここではN嶌先輩が帰りにやらかす場所である...。

雷鳥がすぐ近くに!ふっくらおいしそう

しっかりアイゼンを効かせながら

仙丈ヶ岳山頂

8時前にはピークに。風も穏やかで暖かい。いままで登った山が一望でき、宮下さんの目には涙が...。
先輩方、いままで本当にありがとうございました!


。。。で終れればよかったのだが...。


帰り道、例の坂で横着して尻セードで降りていた中嶌さんが停止できずに滑落。ブッシュに衝突しなんとか止まったが足をくじく。
下級生に、横着して尻セードをする恐ろしさを体を張って教育していただいた。敬礼。

びっこを引きながら歩く中嶌さん 

貸し切りでした

とりあえず松峰小屋に戻り、一泊。中嶌さんが痛々しく、なんか笑えてしまった。
水は小屋から30分ほど下った場所に流れていた。
今晩も鍋をいただく。小屋も隙間こそ多いものも風がない立地で快適な夜を提供してくれた。

14日

最後に中央のこんな景色も

中嶌さんの荷物は分けて下山。そもそも下るだけなので気も楽であったが、松峰を過ぎた後間違った林道に下りかけてしまう。最後まで油断してはならないことを再認識した。
その後、10時頃には下山。中嶌さん、辛くも自力下山でした。

まとめ:
決算合宿ということで仙丈ヶ岳に登った。全体的にコンディションが良く行程的にはやや楽なものになったが、よい眺めで素晴らしい山行になったし、実りも多いものであった。
中嶌さんは最後に体を張って私たちに雪山の怖さを教育してくれた。
最後に油断して道を間違えかけたのは、反省。車に戻るまで最低限の確認は忘れずにやらなければならなかった。
このミスはメンバー全員によい経験となるよう、原因をよくよく反芻したい。

この山行後、先輩方がいなくなってしまうのは本当に寂しい。来年度も個人山行につきやってやって下さい。よろしくお願いします。

(文:蓮容)

2021年1月30日土曜日

2021年1月30日(土)~1月31日(日)檜尾岳

日時:1月30日(土)~1月31日(日)
檜尾岳
メンバー:CL市川 SL東 中嶌 森 増地 鈴木
行程:

29日 静岡=新太田切発電所 30日 新太田切発電所―檜尾登山口―赤沢の頭(1991m)―しゃくなげのピーク下幕営適地 31日 幕営適地―しゃくなげのピーク―檜尾岳避難小屋―檜尾岳―檜尾岳避難小屋―しゃくなげのピーク―赤沢の頭―新太田切発電所=静岡
記録:
29日の夜に発電所につき、前泊。個人としては12月の雪山訓練で足を怪我して以来の本格的な山行。直前になって足が痛み出すので、これ無理なんじゃないかという考えがよぎる。歩き始めたら痛みが引いたのでほっと一息。林道を小一時間ほど歩き、いざ入山。
序盤、少し正規ルートを外れるが、間も無く復帰。地図をこまめに見ることを意識していたが外れたことに気づかず、読図の難しさを実感した。トラバースをジグザグに上がっていく。 尾根に乗る頃には雪もかなり増えてきた。人生初ラッセルだ。先頭を交代し、ラッセルをする。なんだこれ。きつすぎだろ。なんで足踏み込んでるのに下へ戻されるんだ。ふざけるのも大概にしろ。雪に対して怒りを感じたのはこれが初めてである。 ヘロヘロになってきたところで、赤沢の頭に到着し、一休み。レーションを補給し体力を回復させる。
看板が埋まってしまっている。
この後も先頭をこまめに交代しつつ、幕営予定地であるしゃくなげのピーク下に到着。雪を掘り掘りして、本日のテント場を作る。夕食は鍋。しかし今回は一味違う。森さんが食材をすべて乾燥機にかけてきてくれたのだ。これにより、重量は大幅に軽減され、食感もコリコリと歯応えのあるものに!お腹もいっぱいになり、早めの就寝。6人テントだが6人で寝るにはかなり窮屈だった。足が死ぬ。
二日目。朝食を食べ、いざ出発。稜線に出てからが、風も強くなかなか体力を奪われた。しかし天気は非常に良く、頂上の景色をモチベーションにラッセルを行った。1日目よりもラッセルのコツをつかんできたので、比較的体力を残すことができた。
避難小屋に到着し、荷物をデポして頂上まで後少しというところでまさかの事態。鈴木、腹痛により小屋に無念の残置。5人で頂上へ。眺めはとても綺麗だった(小並感)。
中嶌さんは森さんに恨みでもあるのだろうか・・・
下山は滑らないように細心の注意を払った。赤沢の頭までは短く感じられたが、そこから登山口までは肉体的にも精神的にも疲弊した。登山口まで1kmの看板があったので、何歩で着くことができるか数えていた。結果は忘れた。林道に降りてからも、所々足場が凍っていたので最後まで気が抜けなかった。
まとめ:
ラッセルで相当体力を奪われたので、日頃からのトレーニングは必須だと感じた。また、地図読みにおいて、周りの地形によって現在地を把握することがまだ出来ていない(傾斜や、道の方向の変わり方のみで読図してしまっている)ことが課題だ。決算に向けて、今回の山行を生かしていきたい。
(文:増地)

2020年12月28日月曜日

12月28,29日 燕岳

日時:12月28日(月)~12月29日(火)

メンバー:CL市川、SL東、中嶌、森、金子、蓮容、芳村

行程:
28日 静岡=宮城ゲート-中房温泉-合戦小屋(幕営)
29日 合戦小屋ー燕山荘-燕岳-燕山荘-合戦小屋-中房温泉-宮城ゲート=静岡


記録: 28日深夜に静岡を出発し宮城ゲートに向かう。宮城ゲートから登山口までおよそ12キロ。とにかく長い(途中に歩いた距離を確認できる看板があったのでまだよかった)。途中から雪が凍っており滑ることもあったのでチェーンスパイクがあると楽かもしれない。5時20分ごろに宮城ゲートを出発。

長い林道を歩き終えると燕岳の登山口が現れる。やっとスタートラインに来たのだ。時刻は9時30分、早めに合戦小屋まで行きたい。

登山道にはしっかりトレースがあり、道に迷う心配もなく安心して歩くことができた。             
だが、ところどころ坂道で滑ってしまい余計な体力を消費してしまった。今後の課題は歩行技術である。第一ベンチで小休憩。思いのほか12キロ林道のダメージが大きい。

ここから急登が続き体力勝負になってくる。寝不足な体には非常につらい登りである(間違っても前日の夜にバイトを入れるんじゃないぞ)。第二ベンチ、第三ベンチ、富士見ベンチを通り14時前に目的地である合戦小屋に到着。テントを張る。景色が素晴らしい。

そして夕食の時間。年末のため、なかなか豪華な料理を食した。なんとシチューにカニが入ってるではないか。豪華な料理を食べ、明日に備える。

翌朝5時30分ごろに合戦小屋を出発し燕岳山頂を目指す。アイゼンを履いて歩いていく。風を遮る木がなくなると風が直接当たり非常に寒い。しかし、天気は良く非常に歩きやすい。そして7時前の日の出のタイミングで燕岳山頂に到着。景色が最高だった。


来た道を戻り下山する。また林道を歩くのかと思うと悲しい気持ちになる。

宮城ゲートに13時前に到着。ものすごい達成感を得られた。

まとめ: 登山道はトレースがあり、道迷いの心配もない上に非常に歩きやすい。しかし、およそ12キロの林道を歩いた後に登山することができる体力がないと厳しいように感じた。ただそれを乗り越えた先には素晴らしい景色が待っている。

今回の山行で多少の林道ではひるまない精神力を習得したと感じた。

(文:東)

2020年12月20日日曜日

2020年12月19〜20日 八ヶ岳 硫黄岳 雪上訓練

日時:12月19日(土)~12月20日(日)

メンバー:CL宮下,SL蓮容,市川,中嶌,森,芳村,東,金子,増地,鈴木,村岡,大井(OB)

行程:
19日:静岡=美濃戸口駐車場-北沢-赤岳鉱泉付近雪上訓練
20日:赤岳鉱泉-赤岩の頭-硫黄岳-赤岩の頭-赤岳鉱泉-美濃戸口駐車場=静岡

記録:
私は雪山に行くかどうか迷っていた。当時の私は雪山に対して、多大な恐れを抱いていた。即ち、雪山=死。というのは言い過ぎだが、優柔不断な私は、冬山装備を買う決心がつかないでいた。そんな時、部室に冬靴とアイゼンがあるかもしれないという噂を耳にする。
私が雪山に行くかどうかは、サイズの合う冬靴があるかどうかで決めることにした。なんとも冬靴シンデレラ他人任せな方法である。
結局、奇跡的に私の足にぴったりな冬靴とアイゼンがあってしまったので、有り難く雪山に行けることとなった。こうして、山岳部に入部して初めての雪山が幕を開けた。

12日、テント場である行者小屋に向かった。
林道

テントを張り、雪上訓練ができそうな場所まで歩いた。
今回は、主につぼ足歩行、アイゼン歩行を行い、安定した雪上歩行を身につけることを目標としていた。
良さそうな場所を見つけたので、先輩と後輩、2人1組になって練習を行った。

適地

雪はさらさらとしていて足が深く嵌ってしまうところもあった。我々はつぼ足歩行を意識しながら、延々と歩き回った。

これ以外に移動の際にも、先輩から歩行について注意を受けることがあった。特に一回生は、足の間隔が狭く、踵を擦ってしまいそうな人が多いようだった。

歩き回る


踏み均した地面

一回生である私は、もたもたと焦りながらアイゼンを付け、アイゼン歩行を雪上では初めて行った。感想としては、アイゼンは重いが、地面に刺さるため、安心感があるということである。

練習場を後にし、次の訓練へと向かった。

埋没してる人

次に行ったのは埋没体験である。雪崩に遭遇した際、雪に埋まってしまった人を一刻も早く助けなければならない。そこで、我々は雪に人を埋めて、ゾンデ棒で刺し、雪との感触の違いを体感した。雪に埋まった方々は、雪中の冷たさを体感した。

埋める埋める

とはいえ、皆さん容赦ない。ヒトに、本気で雪を被せていくではないか。ヒトはみるみる埋まっていき、影も形もない。最早ゾンデ棒でしか確認する術はない。「さむい…さむい…痛い…!」と言いながら見えなくなっていった宮下さんの顔が忘れられない。

感触を確認

順番に、埋まった人をゾンデ棒で刺していく訓練が始まった。
私は蓮容君を刺したのだが、何度刺してもわからない。これ雪?ヒト?というわけで何度も刺した。最後ようやくわかった気がした。

その後、ビーコンを雪の中に隠して生存可能時間の15分以内に見つけ出すという訓練も行った。

冬の定番

夕食の鍋をいただき、眠りについた。

20日、早朝に硫黄岳へと向かった。
樹林帯を登り、山頂を目指す。私は相変わらず余裕が無く、地面を一心に見詰めながら歩いていた。確か、小休憩の際「周り見渡してごらん」と言われて、顔を上げるとそこには見たことのない景色が広がっていた。
深い緑の針葉樹の上に、パウダーシュガーのような雪が降り積もっている。辺り一面殆ど白でできた世界に、私は、(ここどこだろう?)という感想しか抱かなかった。八ヶ岳である。

その先には地獄が待っていた。

案内板

強風である。
恐ろしい強風であった。
樹林帯を抜けた途端、我々は激しい強風に見舞われた。
風の冷たいことといったら…!「冷たい」というより「痛い」である。

私の家から適当に掘り出してきた裏起毛のネックウォーマーは、裏がさながら霜柱であった。ゴーグルは周囲から凍りつき、時々ずらして前を確認しながら歩いた。
なんといっても痛かったのは耳である。耳なし方一のように、私は耳だけが露出し、特に左耳は強風に直に晒されることとなった。猛烈に痛い。なんとか手で押さえながら、(こうして凍傷になるのかあ…)などと考えながら前に進んだ。

記念撮影

途中恐ろしい岩場を乗り越え、なんとか山頂に辿り着いた。真っ白で何も見えなかった。

下山

恐怖の稜線歩きを終えて、下山した。あのような恐ろしい思いは二度とするまい、と心に誓った。

ここで癒しの村岡

まとめ:
初の雪山は、色々と楽しいこともあったのだが、如何せん頂上付近の天候が悪かったことから、大変な記憶として残っている。耳は霜焼け程度で済んだ。
しかし、この経験はしっかりと次に生かそうと思い、裏起毛じゃないネックウォーマーと耳付きのニット帽と曇り止めを新調した。
家に帰ると、次の雪山のことを考えていたのが不思議である。
何故雪山に行くのか、と自問するページがスケッチブックに見つかった。行きたいから行くのです…と美少女が言っていた。悪魔である。
ともあれ、先輩方から雪上歩行の方法をみっちりと教えていただき、充実した山行となった。雪山の厳しさ、そして美しさも身に染みて感じることができた。

(文:芳村)