2021年1月30日土曜日

2021年1月30日(土)~1月31日(日)檜尾岳

日時:1月30日(土)~1月31日(日)
檜尾岳
メンバー:CL市川 SL東 中嶌 森 増地 鈴木
行程:

29日 静岡=新太田切発電所 30日 新太田切発電所―檜尾登山口―赤沢の頭(1991m)―しゃくなげのピーク下幕営適地 31日 幕営適地―しゃくなげのピーク―檜尾岳避難小屋―檜尾岳―檜尾岳避難小屋―しゃくなげのピーク―赤沢の頭―新太田切発電所=静岡
記録:
29日の夜に発電所につき、前泊。個人としては12月の雪山訓練で足を怪我して以来の本格的な山行。直前になって足が痛み出すので、これ無理なんじゃないかという考えがよぎる。歩き始めたら痛みが引いたのでほっと一息。林道を小一時間ほど歩き、いざ入山。
序盤、少し正規ルートを外れるが、間も無く復帰。地図をこまめに見ることを意識していたが外れたことに気づかず、読図の難しさを実感した。トラバースをジグザグに上がっていく。 尾根に乗る頃には雪もかなり増えてきた。人生初ラッセルだ。先頭を交代し、ラッセルをする。なんだこれ。きつすぎだろ。なんで足踏み込んでるのに下へ戻されるんだ。ふざけるのも大概にしろ。雪に対して怒りを感じたのはこれが初めてである。 ヘロヘロになってきたところで、赤沢の頭に到着し、一休み。レーションを補給し体力を回復させる。
看板が埋まってしまっている。
この後も先頭をこまめに交代しつつ、幕営予定地であるしゃくなげのピーク下に到着。雪を掘り掘りして、本日のテント場を作る。夕食は鍋。しかし今回は一味違う。森さんが食材をすべて乾燥機にかけてきてくれたのだ。これにより、重量は大幅に軽減され、食感もコリコリと歯応えのあるものに!お腹もいっぱいになり、早めの就寝。6人テントだが6人で寝るにはかなり窮屈だった。足が死ぬ。
二日目。朝食を食べ、いざ出発。稜線に出てからが、風も強くなかなか体力を奪われた。しかし天気は非常に良く、頂上の景色をモチベーションにラッセルを行った。1日目よりもラッセルのコツをつかんできたので、比較的体力を残すことができた。
避難小屋に到着し、荷物をデポして頂上まで後少しというところでまさかの事態。鈴木、腹痛により小屋に無念の残置。5人で頂上へ。眺めはとても綺麗だった(小並感)。
中嶌さんは森さんに恨みでもあるのだろうか・・・
下山は滑らないように細心の注意を払った。赤沢の頭までは短く感じられたが、そこから登山口までは肉体的にも精神的にも疲弊した。登山口まで1kmの看板があったので、何歩で着くことができるか数えていた。結果は忘れた。林道に降りてからも、所々足場が凍っていたので最後まで気が抜けなかった。
まとめ:
ラッセルで相当体力を奪われたので、日頃からのトレーニングは必須だと感じた。また、地図読みにおいて、周りの地形によって現在地を把握することがまだ出来ていない(傾斜や、道の方向の変わり方のみで読図してしまっている)ことが課題だ。決算に向けて、今回の山行を生かしていきたい。
(文:増地)

2020年12月28日月曜日

12月28,29日 燕岳

日時:12月28日(月)~12月29日(火)

メンバー:CL市川、SL東、中嶌、森、金子、蓮容、芳村

行程:
28日 静岡=宮城ゲート-中房温泉-合戦小屋(幕営)
29日 合戦小屋ー燕山荘-燕岳-燕山荘-合戦小屋-中房温泉-宮城ゲート=静岡


記録: 28日深夜に静岡を出発し宮城ゲートに向かう。宮城ゲートから登山口までおよそ12キロ。とにかく長い(途中に歩いた距離を確認できる看板があったのでまだよかった)。途中から雪が凍っており滑ることもあったのでチェーンスパイクがあると楽かもしれない。5時20分ごろに宮城ゲートを出発。

長い林道を歩き終えると燕岳の登山口が現れる。やっとスタートラインに来たのだ。時刻は9時30分、早めに合戦小屋まで行きたい。

登山道にはしっかりトレースがあり、道に迷う心配もなく安心して歩くことができた。             
だが、ところどころ坂道で滑ってしまい余計な体力を消費してしまった。今後の課題は歩行技術である。第一ベンチで小休憩。思いのほか12キロ林道のダメージが大きい。

ここから急登が続き体力勝負になってくる。寝不足な体には非常につらい登りである(間違っても前日の夜にバイトを入れるんじゃないぞ)。第二ベンチ、第三ベンチ、富士見ベンチを通り14時前に目的地である合戦小屋に到着。テントを張る。景色が素晴らしい。

そして夕食の時間。年末のため、なかなか豪華な料理を食した。なんとシチューにカニが入ってるではないか。豪華な料理を食べ、明日に備える。

翌朝5時30分ごろに合戦小屋を出発し燕岳山頂を目指す。アイゼンを履いて歩いていく。風を遮る木がなくなると風が直接当たり非常に寒い。しかし、天気は良く非常に歩きやすい。そして7時前の日の出のタイミングで燕岳山頂に到着。景色が最高だった。


来た道を戻り下山する。また林道を歩くのかと思うと悲しい気持ちになる。

宮城ゲートに13時前に到着。ものすごい達成感を得られた。

まとめ: 登山道はトレースがあり、道迷いの心配もない上に非常に歩きやすい。しかし、およそ12キロの林道を歩いた後に登山することができる体力がないと厳しいように感じた。ただそれを乗り越えた先には素晴らしい景色が待っている。

今回の山行で多少の林道ではひるまない精神力を習得したと感じた。

(文:東)

2020年12月20日日曜日

2020年12月19〜20日 八ヶ岳 硫黄岳 雪上訓練

日時:12月19日(土)~12月20日(日)

メンバー:CL宮下,SL蓮容,市川,中嶌,森,芳村,東,金子,増地,鈴木,村岡,大井(OB)

行程:
19日:静岡=美濃戸口駐車場-北沢-赤岳鉱泉付近雪上訓練
20日:赤岳鉱泉-赤岩の頭-硫黄岳-赤岩の頭-赤岳鉱泉-美濃戸口駐車場=静岡

記録:
私は雪山に行くかどうか迷っていた。当時の私は雪山に対して、多大な恐れを抱いていた。即ち、雪山=死。というのは言い過ぎだが、優柔不断な私は、冬山装備を買う決心がつかないでいた。そんな時、部室に冬靴とアイゼンがあるかもしれないという噂を耳にする。
私が雪山に行くかどうかは、サイズの合う冬靴があるかどうかで決めることにした。なんとも冬靴シンデレラ他人任せな方法である。
結局、奇跡的に私の足にぴったりな冬靴とアイゼンがあってしまったので、有り難く雪山に行けることとなった。こうして、山岳部に入部して初めての雪山が幕を開けた。

12日、テント場である行者小屋に向かった。
林道

テントを張り、雪上訓練ができそうな場所まで歩いた。
今回は、主につぼ足歩行、アイゼン歩行を行い、安定した雪上歩行を身につけることを目標としていた。
良さそうな場所を見つけたので、先輩と後輩、2人1組になって練習を行った。

適地

雪はさらさらとしていて足が深く嵌ってしまうところもあった。我々はつぼ足歩行を意識しながら、延々と歩き回った。

これ以外に移動の際にも、先輩から歩行について注意を受けることがあった。特に一回生は、足の間隔が狭く、踵を擦ってしまいそうな人が多いようだった。

歩き回る


踏み均した地面

一回生である私は、もたもたと焦りながらアイゼンを付け、アイゼン歩行を雪上では初めて行った。感想としては、アイゼンは重いが、地面に刺さるため、安心感があるということである。

練習場を後にし、次の訓練へと向かった。

埋没してる人

次に行ったのは埋没体験である。雪崩に遭遇した際、雪に埋まってしまった人を一刻も早く助けなければならない。そこで、我々は雪に人を埋めて、ゾンデ棒で刺し、雪との感触の違いを体感した。雪に埋まった方々は、雪中の冷たさを体感した。

埋める埋める

とはいえ、皆さん容赦ない。ヒトに、本気で雪を被せていくではないか。ヒトはみるみる埋まっていき、影も形もない。最早ゾンデ棒でしか確認する術はない。「さむい…さむい…痛い…!」と言いながら見えなくなっていった宮下さんの顔が忘れられない。

感触を確認

順番に、埋まった人をゾンデ棒で刺していく訓練が始まった。
私は蓮容君を刺したのだが、何度刺してもわからない。これ雪?ヒト?というわけで何度も刺した。最後ようやくわかった気がした。

その後、ビーコンを雪の中に隠して生存可能時間の15分以内に見つけ出すという訓練も行った。

冬の定番

夕食の鍋をいただき、眠りについた。

20日、早朝に硫黄岳へと向かった。
樹林帯を登り、山頂を目指す。私は相変わらず余裕が無く、地面を一心に見詰めながら歩いていた。確か、小休憩の際「周り見渡してごらん」と言われて、顔を上げるとそこには見たことのない景色が広がっていた。
深い緑の針葉樹の上に、パウダーシュガーのような雪が降り積もっている。辺り一面殆ど白でできた世界に、私は、(ここどこだろう?)という感想しか抱かなかった。八ヶ岳である。

その先には地獄が待っていた。

案内板

強風である。
恐ろしい強風であった。
樹林帯を抜けた途端、我々は激しい強風に見舞われた。
風の冷たいことといったら…!「冷たい」というより「痛い」である。

私の家から適当に掘り出してきた裏起毛のネックウォーマーは、裏がさながら霜柱であった。ゴーグルは周囲から凍りつき、時々ずらして前を確認しながら歩いた。
なんといっても痛かったのは耳である。耳なし方一のように、私は耳だけが露出し、特に左耳は強風に直に晒されることとなった。猛烈に痛い。なんとか手で押さえながら、(こうして凍傷になるのかあ…)などと考えながら前に進んだ。

記念撮影

途中恐ろしい岩場を乗り越え、なんとか山頂に辿り着いた。真っ白で何も見えなかった。

下山

恐怖の稜線歩きを終えて、下山した。あのような恐ろしい思いは二度とするまい、と心に誓った。

ここで癒しの村岡

まとめ:
初の雪山は、色々と楽しいこともあったのだが、如何せん頂上付近の天候が悪かったことから、大変な記憶として残っている。耳は霜焼け程度で済んだ。
しかし、この経験はしっかりと次に生かそうと思い、裏起毛じゃないネックウォーマーと耳付きのニット帽と曇り止めを新調した。
家に帰ると、次の雪山のことを考えていたのが不思議である。
何故雪山に行くのか、と自問するページがスケッチブックに見つかった。行きたいから行くのです…と美少女が言っていた。悪魔である。
ともあれ、先輩方から雪上歩行の方法をみっちりと教えていただき、充実した山行となった。雪山の厳しさ、そして美しさも身に染みて感じることができた。

(文:芳村)

2020年11月21日土曜日

11月21日(土)~11月23日(月)深南部周回・大無間

日時:11月21日(土)~11月23日(月)

メンバー:CL宮下,SL蓮容,中島,森,市川,東,金子,増地,鈴木

行程:

21 静岡=寸又峡温泉駐車場-朝日岳登山口-朝日岳-日向山-鹿の土俵場

22日 鹿の土俵場-三方嶺-大無間山-風入らず-1351mピーク付近 

23 1351ピーク付近-三角点1280.3m-栗代山-県道77-寸又峡温泉駐車場=静岡


記録:
21日晴れ
静岡を深夜に出、4時30分に寸又峡の駐車場に到着する。駐車場所だが、この時期は行楽シーズンでありより寸又峡に近い第3駐車場は混雑する。泊まり登山の場合、多くの空きがある第1駐車場を利用するのがよさそうである。
まだ暗く、風もあったがいつものこと。第三駐車場にある綺麗なトイレを使わせていただき準備を済ませ、てくてくと登山口に向かう。


駐車場から登山口までは看板や標識が案内してくれる。
まだ暗い寸又峡の温泉宿を眺め、早くも下山後の風呂に思いを馳せたのは私だけではないはず。

猿並みとは吊り橋となるとはしゃぎ出す我々のコト

延々と登る
                
本山行最初の山、朝日岳であるが、登山口から1400m近くひたすら登りをこなす必要がある。二泊三日の装備を背負っていくが、まあつまりしんどい。
まだまだ長い行程のことは考えないようにし、頭を空っぽにして歩き続ける。

 朝日岳のガレ場
               
栗山沢の頭 そしてまだまだ登る
             
 10時前朝日岳到着 ぐったりした鈴木と張り切った蓮容の腹
       
朝日岳に10時前到着。鈴木は今回で2回目の山行であり、さすがに疲労が見られる。
長めに休息をとり、出発に備えるが正直ここからはしばらく下るだけと油断していた...。


朝日岳から日向山への稜線はバリエーションルートとなっており、(今回の行程はほぼバリエーションだが)踏み跡は非常に薄くテープもまばらである。しかしその不明瞭さは想像以上でコンパスと地形図は必携、また小枝や倒木を越えていくのに体力を奪われた。

杖をつく中島おじいちゃん
              
朝日岳を越え藪を越えしばらくすると、木々が開けだし気持ちのよい歩行となる。いくつかの小ピークこそあれど登り一辺倒であった朝日岳と、先が見えない藪であった先ほどの状況とは異なる道でなんとも楽しい。


鉄板があった ヘリポート跡だろうか?
       
笹が出てきた ざくざくと小気味よい
            
しばらく進むとヘリポート?以来の人工物 
           
鹿の土俵場の前に造林小屋と思われる建物が2棟見られた。このあたりは平坦で展望もよく、テン泊にはなんとも気持ちよさそうであり進むか悩むが、まだ時間もはやく鹿の土俵場まで進むこととなった。
よい展望と金子
                  
テン場での寒さに晩秋を感じる
             
11月生まれの方々を祝う
             
時間的には三方窪で泊まることも可能だったが、メンバーの疲労を考慮し鹿の土俵場付近で幕営。乾いたヌタ場跡を利用した。風は微風だったため外で飯を作り、11月生まれの方々をいつものケーキで祝う。
我々の他に誰もおらず、風も穏やかであり静かな一晩を気持ちよく過ごさせてもらった。

22日晴れのち雨
いつものように暗いうちから起き出し、シリアルを食む。ミルクを忘れたらしくココアで食べることとなったが、不味くはなし。ただ、腹がすく予感がし、燃費の悪い私はいつもより多くの行動食をポッケに忍ばせる。
この時点ではよく晴れており星が綺麗であった。

鹿の土俵場から三方窪まで背の高い笹藪が続く
          
三方窪に到着 ほっと一息
              
私たちは今回、三方窪までを暗い時間帯に通過したがこの付近は道がはっきりしない笹藪で、かつ二重稜線ぎみであるため、コンパスと地形図を常に睨みながら進むことになり非常にプレッシャーがかかる場所であった。このように道が不明瞭な場所では明るくなるまで待つのも選択に入れるべきかもしれない。
三方窪からは一気に高度を上げる急登があり、笹を掴みながら登る。

急登の後は気持ちのよい緩やかな道
              
 三方峰 ガレガレで格好いい
              
窪地には水が溜まっていたが飲むには不適
         
人の手がほとんど入っていない美しい森を抜け...
          
大無間山2329m
                                           
9時過ぎに山頂を踏む。長い行程だが、大無間の手前は緩やかな斜面が続き、また美しいシラビソ原生林が広がっており静かな山歩きを堪能できる。
ここで朝日岳山頂以来となる別パーティーに会う。その方々以降は別パーティーに会うことは無く、大無間の山域としての深さを実感する。

 風不入に12:00 
              
大無間で休憩、続いて風イラズに至る。ガレ場はあるものの笹藪を巻けばさほど問題ではなかったのだが、問題はここからであった...

黒枯山標識 天気も不穏に
              
さて、この標識がある意味本山行の一つのハイライトとなる。
黒枯山は1621mピークとして認識していたが、この看板はおそらく1720mにあったと思われる。現在地を1621mと思い込んでしまったせいで、この先の尾根が分岐する地点でコンパスが合わず大きく時間をロス、最終的には携帯のGPSに頼って現在地を確認することになるという情けない結果となった。もし携帯が使えない場面であったら、もし時間的に余裕が無いときであったら...。
反省点として、山行記録をもっと多く読み込み、また看板も絶対ではない(今回のケースやイタズラのリスクがある)ことを認識しなければならない。

小雨の中の幕営 色々あった二日目、皆萎えている
         
その後、1351m地点までの道中も尾根の分岐が複雑で、また霧雨も降り出し視界が悪く、間違った尾根に降りかけては足場の悪さに引き返す、といったことも実際にあるなど読図の甘さが目立つ。私の個人の能力とパーティーとの連携両方の向上の必要を痛感した。
また、風不入からの下り自体テープも少なく分岐が分かりづらく、ガレている部分もあり、ここを通過される方は注意していただきたい。


3日目晴れ

赤く照らされる朝日岳
              
昨日の夜から一転、晴れ。朝日岳が美しい。今日の行程はそれほどきつくはならない。ゆっくりと起き出す。

朝の元気さで、てくてくと尾栗峠へ
              
同上、大小屋戸山
                 
本山行最終ピーク


最後に栗代山への登りをこなす。山頂は藪に覆われていたが、南側は開かれており接岨湖が望める。
ここからの下りで鈴木がバテる。が、帰りの林道では1年の中で荷物を持ってあげていた。
優しいなあ。
そこからは大井川、続いて寸又川を眺めながら下山した。


まとめ
今回は積雪期を見据えた体力錬成と、当山岳部伝統 秋は深南部!という風潮に今年も漏れなく乗っかって、晩秋の朝日岳から大無間、風不入と2泊3日で周回した。

昨年に比べて自身は体力面での余裕ができ、また先輩方はさすがの3回生、的確なアドバイスをいくつもいただいたが、東、増地、金子はまだ山行の回数も少ないのにこの長い行程を楽しんでいるようで素質を感じる。鈴木は体力面ではまだ他の1年には遅れこそとるものの、この山行をこなしたことで少しでも自身に繋がればうれしく思う。

全体を通して静かな秋の深南部をじっくりと堪能できた素晴らしい二泊三日であったが、同時に課題もよく見えた。
ルーファイに関しては、メンバー全員が行うべきだが、CLとSLに依存している部分がある。来年度では3回生は私一人であり、この状況が強まってしまうことが懸念される。それぞれが現在地把握に努め、対等な立場で意見できる意識と関係性を今後築いていきたいと思う。


(文:蓮容)