行程
11月19日 静岡=白樺荘-畑薙大吊橋-茶臼小屋
11月20日 茶臼小屋-茶臼岳-上河内岳-聖平小屋-聖岳-聖平小屋-聖沢で幕営
11月21日 テン場-白樺荘=静岡
メンバー
CL:森下 SL:峯尾 M:小田切、原、永井、山下、落合
少しだけ雪を期待して南アルプスへ行ってきました
text:峯尾、photos:森下
11月19日 晴れ
白樺荘に車を置いて、いざ出発。治山工事で林道が通行止めになっていたため、迂回路をつかって畑薙大吊橋へ。 ここで、高所恐怖症の永井さんが吊橋をおそるおそる渡っているときに、原君がわざと吊橋をゆらして永井さんを怖がらせた。 原君のSな一面を見てしまった。
治山工事の現場 迂回路 大吊橋
登山道をゆっくり歩き横窪沢小屋に到達、一休みする。休憩中に弓ちゃん(小田切)が小鳥の死骸を拾ってジップロックにいれたのを見て少しひいてしまった。 小鳥の骨を部屋に飾るらしい。
茶臼小屋では冬期非難小屋を使わせてもらった。小屋内ではご飯を食べ酒を飲んでくつろいだ。 料理を作っている途中で、火災探知機が鍋からでる湯気に反応して警報を発した時は正直ビビった。なんとか警報を消して事なきを得た。就寝。
11月20日 雪のち晴れ
起床してさっさと飯を食い小屋を出た。雪が降っていたため全員が冬用登山靴に履き替えた。
稜線に出て荷物をデポした後、茶臼岳までピストンした。風が結構つよく天気もよくない。その後、荷物を回収し聖方面へ出発。 途中、上河内岳の肩に荷物をデポして上河内岳に登る。天気は悪い。
茶臼岳 上河内岳
聖平に着くころには天気は良くなってきた。非難小屋内に荷物を置かせてもらい、聖岳を目指す。聖岳での登りは天気が良くて気持ちが良かった。 山頂で一休みし聖平に戻る。
聖岳 聖岳山頂
この日は聖平に泊まる予定だったのだが、ここでは水が汲めないことが分かったので、予定を変更して聖沢で幕営することにした。 沢の途中で幕営にうってつけの場所を見つけたので、この日はそこで泊まることにした。平坦でしかも広い快適なテント場だった。
酒を飲み気持ちよく寝た。
11月21日 晴れ
外が明るくなってからテント場を出発。聖沢の登山道はトラバースする箇所で所々氷が張っていて足を滑らせそうで少し怖かった。
トラバース
赤石ダムまで下り、畑薙方面へもくもくと歩く。林道の途中で、森下、永井、山下、落合が走りだした。 山下は自分より先に進んでいたのにもかかわらず、途中でバテテ結局最後尾になっていた。
畑薙大吊橋近くで休憩して、一番後ろの山下を待つがなかなか現れない。 やっとこさ山下が来て皆で歩きだした時にトラックのおっちゃんが通りがかり、なんとトラックの荷台に乗せてくれた。おっちゃんやさしい。 荷台では風が気持ちよく最高な気分だった。
トラックの荷台
おっちゃんに迂回路の入り口まで送ってもらい、そこから白樺荘まで歩く。白樺荘で温泉に入らせてもらい、畳の上でお菓子を食べながらくつろいだ。
バスを乗り継いで静岡へ帰った。
総括
雪を期待して南アルプスに行ったが、当然のごとく雪はほとんどなかった。
予定通り聖岳まで縦走できたので良かった。
2010年11月22日月曜日
2010年8月26日木曜日
2010年8月18~25日 飯豊川本流
行程
8月18日 静岡=東京=胎内市
8月19日 胎内にて準備
8月20日 駐車場ー湯平温泉ー550m廊下手前
8月21日 ―下部ゴルジューヒルカル入口
8月22日 ーヒルカルの悪場ー孫右衛門出合
8月23日 ーノコギリ尾根ー洗濯沢出合
8月24日 ー孫右衛門ー駐車場=胎内
8月25日 胎内市
メンバー
佐々木、永井、小坂(京都府立医科大山岳部)、ヘイキ
5日かけて全行程の半分で敗退。自分の力無さを感じたが充実した遡行だった。蛇も食えた。これからどんどん、ゴルジュ突破能力を上げていきたい。
text:ヘイキ photos:ヘイキ、小坂
8月18日
静岡/東京=埼玉=胎内
永井が静岡から、ヘイキが東京からケンケン宅に移動、晩ご飯ご馳走になって高速で胎内まで。ついたのは朝。
8月19日
胎内市
胎内のBC(ケンケンのお父さんの家)で北海道から来る小坂を待ちながら準備し、登山道具屋さんで買い足したりして、夜の前夜祭では久保田の万寿をご馳走になった。うれしすぎる。
8月20日 快晴
駐車場(10:00)―湯平温泉(14:00)―廊下手前(17:00)
立派過ぎる鍵がかかっていて車が加治川治ダムまでしか入らなかった。12km林道を地下足袋で挑戦!インナーソールは2重にすべきだった。小坂が蛇を追いかけるが捕まらず。蒸し蒸し猛暑の中、延々と続く林道の末、湯平温泉に到着。温泉のおじさんがこれうえない酸っぱい梅干しをくれた。ありがたや。
温泉が熱すぎて入れなかった。ちょっと休憩して遡行開始。最初から激流と戦う。川が白く泡立ち、底が見えなくて苦労するところもあった。午後4時から幕営地を探したがゴルジュの中でなかった。自衛隊経験の永井が、ちょっと斜面でも何とか寝れるよ、と左岸の樹林帯をさした。もろい壁を登ってみたら、なんと頑張って寝られそうな場所があった。
薪刈りはロープを出して、懸垂で幕営地まで運んだ。50cm*50cmのちょっと平らなところで火を灯し、ウィンナーと食べ、ビールを飲み、入渓を祝った。寝る場所が狭く、小坂の足がぶらぶらしていて、ザックも夜中に一回転んで落ちたが面白い初日だった。
8月21日 快晴
起床(5:00)―第1巻終了(7:30)―第2巻(8:15)―第2巻終了(9:30)―ヒルカル手前(11:30)―行動終了(12:30)
朝起きて、ご飯食べて、目の前に見える廊下が通れそうでなかったのでそのまま巻いた。しばらく川を楽しんで行くと手を拒む滝が出て、これを右岸の岩場を抜けたブッシュ帯より巻いた。
また楽しく行くと今度はでかいチョックストーンの滝で、左のチムニーしか登れそうにない。しかしチムニーの取り付きまで激流である。ハンマーを投げて、20回目くらいで引っかかって、小坂がFIXを張る。作業が終わった時点で昼過ぎ。ヒルカルの突破をやって見るか、少し戻ったところでビバークするか、悩むがヒルカルの途中では泊まれそうにないから行動を早く打ちきって宴会にする。
8月22日 快晴
起床(5:00)―ヒルカルの大曲がり(7:30)―人工トラバース上(8:45)―巻開始(9:50)―巻終了(16:00)―孫右衛門沢出合(17:00)
起きて早速前日のFIXに向かう。激流の水が冷たいが、荷揚げで体が温まる。少し進むと左岸に聳える砦が現れ、川が90度曲がる。ヒルカルの悪場である。そこに入ってみるとまずは水流の中を歩く。幸い、深くない。次にさらに狭い激流になるが、右側の壁が登れそうだ。低く登ってボルダームーブで抜けるか、高く登ってトラバースするか。永井が潜って、小坂が永井の肩に乗ってボルダームーブを突破。次にちょっと迷うが残置ハーケンにアブミをかけて川に降りる。
次は滝の上で岩から岩へ飛び込まないといけない。小坂はノリがいいのでリードをお願い。ぎりぎり何とかなって、荷物を4人で引っ張り上げながら運ぶ。永井が落ちて流されそうになるが下の石に立てた。全員揃って、上流に進んで、今度は大靜だ。ヘイキが泳いでみるがちょっと厳しい。右岸の岩場からブッシュと、高巻くことにする。1P目、もろい滝の右上まで。2P目、壁と巨岩の間を右へトラバース。3P目、木を頼りに垂壁のルンゼを抜け、緩傾斜帯へ。4人なのでここまで3時間。
ブッシュを延々と巻く。メンバーの心が折れ始める。途中の枝沢でシマヘビをゲット!蛇を焼くことが楽しみになり辛くても巻きつづける。不動滝とその手前の雪渓も見れる。いよいよ緩い尾根について、沢に戻れた。6時間の長い、長い巻だった。その場で泊まりたい人もいたがベストではなかったので、30分上流の孫右衛門沢出合まで歩いた。ちょっと飛び込みもあったがつかれていたのでどうでもよかった。
夜の宴会はおいしいご飯、おいしいお酒、おいしい蛇で一日の疲れが取れた。
8月23日 快晴
起床(5:20)―ゴルジュ手前(8:00)―リッジ(9:30)―岩場(10:45)―引き返し点(12:00)―ゴルジュ手前(16:30)―洗濯沢出合(17:30)
今日どこまでいけるかで成功か敗退が決まるとの覚悟で出発。上部ゴルジュにつくとまず、登れそうにない廊下の滝。右岸のルンゼを尾根上に抜ける。怖いがロープを出さない。尾根上に出たら、下に見える雪渓を観察。一番奥が切れており、そこに滝があり、左右の壁がジャンプしても届きそうにない。選択肢は二つ、雪渓に降りて、切れる手前から右岸のルンゼに入って、急なブッシュから巻くか、今いる尾根を登って、大きく巻くか。尾根を上部まで抜けたら比較的にやさしくトラバースできそうな緩いブッシュ帯があったので後者にした。
しかし、1時間くらい登ったら、なんと岩場にぶつかった。ちょっと偵察してからクライミングシューズで右から登ることにした。垂直に近いところもあったがIII級程度。上に抜けたらナイフエッジ。まだよかったが、さらに登ったらブッシュに被われた急傾斜のナイフエッジになった。登ろうにしても半端ない時間がかかる。
先が暗くなった。ここからはトラバースもできず、登りもできず、戻るしかない。しかしもう昼過ぎなので雪渓に降りてもどこまでいけるだろう?いろいろともっとも早そうな下り道を考えたところ、登ったところを降りて、懸垂できるくらい木があることを祈って、洗濯沢まで戻るしかない、と分かった。時間のロスが大きすぎて、もう成功させる日数がない。
懸垂とクライムダウンを何時間かかけて繰り替えして、最後に50m懸垂をして、沢に立った。腕が猛烈に日光を喰らっていた。下りの滝で飛び込みをしたり、洗濯沢出合の快適な幕営地についた。
8月24日 快晴
起床(5:30)―孫右衛門沢出合(7:40)―登山道(9:40)―駐車場(16:20)
孫右衛門沢の左俣を登って、水が多そうな方を選びながらいったらヤブ漕ぎ3分で登山道についた。今度、ここから沢に入ってリベンジできるように目印を貼っておいた。シマヘビを一匹捕まえた。湯平までは3時間程度の登山道歩きだった。ついたらまた梅干しをいただき、温泉に入った。相変わらず激熱だったが日焼けにいいと思い込み我慢した。近くのボルダーから釜に飛び込んだりして小坂が半回転で痛い思いをした。さっぱりして、駐車場までの登山道でまたぐたぐたして、またシマヘビ一匹捕まって、車についた途端、疲れが骨まで感じた。時間の感覚がおかしくなるほどどきどきまんまりの5日間が終わった。
8月25日 快晴
胎内市
ケンケンが蛇の呪いで倒れて入院。
総括
行ったことのあった沢の中で、群を抜いて素晴らしい。5日間常に緊張感を持ち、緩みがなかった。
反省点として、天気で恵まれていたのに完成できなかったことは時間のロスが原因。まず、2日目の行動を早く打ちきったことについてだが、ヒルカルは結局偉い時間がかかったので、もし2日目に行って同じルートを選んだら、大変な目にあっただろう。しかし、ヒルカルのトラバースそのものは問題があった:大靜をまともに泳ごうとせず巻いてしまったことが、諦めが早すぎた(水の冷たさの根性が足りなかった・・)。もし不動の滝下の雪渓まで頑張れたら、巻が3時間少なくて済んだかもしれない。最後、4日目の巻だが、上に行かず雪渓に降りるべきだった;実際に行ってみたら何とかなったかもしれない。次回の課題である。
全体を通して、非常によかった。今回は完成できなかったがまた来年、上部に挑戦したい。蛇たち、待ちな!
8月18日 静岡=東京=胎内市
8月19日 胎内にて準備
8月20日 駐車場ー湯平温泉ー550m廊下手前
8月21日 ―下部ゴルジューヒルカル入口
8月22日 ーヒルカルの悪場ー孫右衛門出合
8月23日 ーノコギリ尾根ー洗濯沢出合
8月24日 ー孫右衛門ー駐車場=胎内
8月25日 胎内市
メンバー
佐々木、永井、小坂(京都府立医科大山岳部)、ヘイキ
5日かけて全行程の半分で敗退。自分の力無さを感じたが充実した遡行だった。蛇も食えた。これからどんどん、ゴルジュ突破能力を上げていきたい。
text:ヘイキ photos:ヘイキ、小坂
8月18日
静岡/東京=埼玉=胎内
永井が静岡から、ヘイキが東京からケンケン宅に移動、晩ご飯ご馳走になって高速で胎内まで。ついたのは朝。
8月19日
胎内市
胎内のBC(ケンケンのお父さんの家)で北海道から来る小坂を待ちながら準備し、登山道具屋さんで買い足したりして、夜の前夜祭では久保田の万寿をご馳走になった。うれしすぎる。
8月20日 快晴
駐車場(10:00)―湯平温泉(14:00)―廊下手前(17:00)
立派過ぎる鍵がかかっていて車が加治川治ダムまでしか入らなかった。12km林道を地下足袋で挑戦!インナーソールは2重にすべきだった。小坂が蛇を追いかけるが捕まらず。蒸し蒸し猛暑の中、延々と続く林道の末、湯平温泉に到着。温泉のおじさんがこれうえない酸っぱい梅干しをくれた。ありがたや。
温泉が熱すぎて入れなかった。ちょっと休憩して遡行開始。最初から激流と戦う。川が白く泡立ち、底が見えなくて苦労するところもあった。午後4時から幕営地を探したがゴルジュの中でなかった。自衛隊経験の永井が、ちょっと斜面でも何とか寝れるよ、と左岸の樹林帯をさした。もろい壁を登ってみたら、なんと頑張って寝られそうな場所があった。
薪刈りはロープを出して、懸垂で幕営地まで運んだ。50cm*50cmのちょっと平らなところで火を灯し、ウィンナーと食べ、ビールを飲み、入渓を祝った。寝る場所が狭く、小坂の足がぶらぶらしていて、ザックも夜中に一回転んで落ちたが面白い初日だった。
8月21日 快晴
起床(5:00)―第1巻終了(7:30)―第2巻(8:15)―第2巻終了(9:30)―ヒルカル手前(11:30)―行動終了(12:30)
朝起きて、ご飯食べて、目の前に見える廊下が通れそうでなかったのでそのまま巻いた。しばらく川を楽しんで行くと手を拒む滝が出て、これを右岸の岩場を抜けたブッシュ帯より巻いた。
また楽しく行くと今度はでかいチョックストーンの滝で、左のチムニーしか登れそうにない。しかしチムニーの取り付きまで激流である。ハンマーを投げて、20回目くらいで引っかかって、小坂がFIXを張る。作業が終わった時点で昼過ぎ。ヒルカルの突破をやって見るか、少し戻ったところでビバークするか、悩むがヒルカルの途中では泊まれそうにないから行動を早く打ちきって宴会にする。
8月22日 快晴
起床(5:00)―ヒルカルの大曲がり(7:30)―人工トラバース上(8:45)―巻開始(9:50)―巻終了(16:00)―孫右衛門沢出合(17:00)
起きて早速前日のFIXに向かう。激流の水が冷たいが、荷揚げで体が温まる。少し進むと左岸に聳える砦が現れ、川が90度曲がる。ヒルカルの悪場である。そこに入ってみるとまずは水流の中を歩く。幸い、深くない。次にさらに狭い激流になるが、右側の壁が登れそうだ。低く登ってボルダームーブで抜けるか、高く登ってトラバースするか。永井が潜って、小坂が永井の肩に乗ってボルダームーブを突破。次にちょっと迷うが残置ハーケンにアブミをかけて川に降りる。
次は滝の上で岩から岩へ飛び込まないといけない。小坂はノリがいいのでリードをお願い。ぎりぎり何とかなって、荷物を4人で引っ張り上げながら運ぶ。永井が落ちて流されそうになるが下の石に立てた。全員揃って、上流に進んで、今度は大靜だ。ヘイキが泳いでみるがちょっと厳しい。右岸の岩場からブッシュと、高巻くことにする。1P目、もろい滝の右上まで。2P目、壁と巨岩の間を右へトラバース。3P目、木を頼りに垂壁のルンゼを抜け、緩傾斜帯へ。4人なのでここまで3時間。
ブッシュを延々と巻く。メンバーの心が折れ始める。途中の枝沢でシマヘビをゲット!蛇を焼くことが楽しみになり辛くても巻きつづける。不動滝とその手前の雪渓も見れる。いよいよ緩い尾根について、沢に戻れた。6時間の長い、長い巻だった。その場で泊まりたい人もいたがベストではなかったので、30分上流の孫右衛門沢出合まで歩いた。ちょっと飛び込みもあったがつかれていたのでどうでもよかった。
夜の宴会はおいしいご飯、おいしいお酒、おいしい蛇で一日の疲れが取れた。
8月23日 快晴
起床(5:20)―ゴルジュ手前(8:00)―リッジ(9:30)―岩場(10:45)―引き返し点(12:00)―ゴルジュ手前(16:30)―洗濯沢出合(17:30)
今日どこまでいけるかで成功か敗退が決まるとの覚悟で出発。上部ゴルジュにつくとまず、登れそうにない廊下の滝。右岸のルンゼを尾根上に抜ける。怖いがロープを出さない。尾根上に出たら、下に見える雪渓を観察。一番奥が切れており、そこに滝があり、左右の壁がジャンプしても届きそうにない。選択肢は二つ、雪渓に降りて、切れる手前から右岸のルンゼに入って、急なブッシュから巻くか、今いる尾根を登って、大きく巻くか。尾根を上部まで抜けたら比較的にやさしくトラバースできそうな緩いブッシュ帯があったので後者にした。
しかし、1時間くらい登ったら、なんと岩場にぶつかった。ちょっと偵察してからクライミングシューズで右から登ることにした。垂直に近いところもあったがIII級程度。上に抜けたらナイフエッジ。まだよかったが、さらに登ったらブッシュに被われた急傾斜のナイフエッジになった。登ろうにしても半端ない時間がかかる。
先が暗くなった。ここからはトラバースもできず、登りもできず、戻るしかない。しかしもう昼過ぎなので雪渓に降りてもどこまでいけるだろう?いろいろともっとも早そうな下り道を考えたところ、登ったところを降りて、懸垂できるくらい木があることを祈って、洗濯沢まで戻るしかない、と分かった。時間のロスが大きすぎて、もう成功させる日数がない。
懸垂とクライムダウンを何時間かかけて繰り替えして、最後に50m懸垂をして、沢に立った。腕が猛烈に日光を喰らっていた。下りの滝で飛び込みをしたり、洗濯沢出合の快適な幕営地についた。
8月24日 快晴
起床(5:30)―孫右衛門沢出合(7:40)―登山道(9:40)―駐車場(16:20)
孫右衛門沢の左俣を登って、水が多そうな方を選びながらいったらヤブ漕ぎ3分で登山道についた。今度、ここから沢に入ってリベンジできるように目印を貼っておいた。シマヘビを一匹捕まえた。湯平までは3時間程度の登山道歩きだった。ついたらまた梅干しをいただき、温泉に入った。相変わらず激熱だったが日焼けにいいと思い込み我慢した。近くのボルダーから釜に飛び込んだりして小坂が半回転で痛い思いをした。さっぱりして、駐車場までの登山道でまたぐたぐたして、またシマヘビ一匹捕まって、車についた途端、疲れが骨まで感じた。時間の感覚がおかしくなるほどどきどきまんまりの5日間が終わった。
8月25日 快晴
胎内市
ケンケンが蛇の呪いで倒れて入院。
総括
行ったことのあった沢の中で、群を抜いて素晴らしい。5日間常に緊張感を持ち、緩みがなかった。
反省点として、天気で恵まれていたのに完成できなかったことは時間のロスが原因。まず、2日目の行動を早く打ちきったことについてだが、ヒルカルは結局偉い時間がかかったので、もし2日目に行って同じルートを選んだら、大変な目にあっただろう。しかし、ヒルカルのトラバースそのものは問題があった:大靜をまともに泳ごうとせず巻いてしまったことが、諦めが早すぎた(水の冷たさの根性が足りなかった・・)。もし不動の滝下の雪渓まで頑張れたら、巻が3時間少なくて済んだかもしれない。最後、4日目の巻だが、上に行かず雪渓に降りるべきだった;実際に行ってみたら何とかなったかもしれない。次回の課題である。
全体を通して、非常によかった。今回は完成できなかったがまた来年、上部に挑戦したい。蛇たち、待ちな!
2010年8月8日日曜日
2010年8月8日 丹沢 小川谷廊下遡行
行程
8月8日 5:30静岡発- 7:30林道駐車場- 8:00遡行開始
- 13:30壊れた堰堤 遡行終了 -15:30 駐車場 - 19:30静岡
メンバー
L 一心、 SL 永井、すがポン(1年生)、サトル
山岳部2年生企画 1年生を連れて夏の小川谷を楽しく遡行してきました。
text:永井 photos:永井
8月8日 快晴 気温30度
総話
今回は一心の「小川谷廊下行きましょうよ。」から始まった山岳部2年生の単独企画。それに菅ポンとサトルが加わってくれて4人パーティーに。
8月8日はお盆休み2日目の休み+講習会の情報も入っており沢での渋滞が予想されたが、案の定渋滞した。
最低15パーティー以上は遭遇したと思う。単独、ツアーっぽいパーティー、滝登りパーティー、沢に入らない?パーティー、カップル、夫婦etc...
合計30人以上は遭遇したと思う。その他にも10人超えのパーティーも遡行していたらしくまぁ人気の沢だと改めて実感した。
この日の小川谷は水量が多く菅ポンには難しいと思っていたら、始めのチョックストーンF2の滝以外はノーロープで何とか出来た。
一心は前回来たときに敗退していた場所も難なくクリアしパーティーをリードしていたのは大きな成長では無いだろうか(俺もだけど。)
まぁ気温も高く、とにかく楽しい沢登で事故も無く下山できたのでホッとした気持ちだ。
もりしーが心配していたのは分かっていたが、静岡で会ったときにつまらない冗談で気苦労させたのは申し訳ない。
無事に終わってくれて何よりな沢登りだった。
■反省点■
・菅ポンがヘルメットを忘れる→先輩は後輩の装備を点検する義務がある。俺のを貸した。
・下級生の練度→初心者に対して上級生最低2人は必要だろうと改めて実感した。たとえ日帰りでも。
オススメ情報
初めてウエットスーツ(サーフィン用)を使ってみたがとにかく沢登では快適だった。水の冷たさを感じる事も無く、浮力もありガンガン遊べる。
これはオススメだ。
サーフィン用はパドル(泳ぎ)に特化した作りになっているので伸縮性があり肩も股関節も動かしやすく滝登りにも支障なし!
ただし、水に浸かるまでは激暑で我慢するか処置が必要。
8月8日 5:30静岡発- 7:30林道駐車場- 8:00遡行開始
- 13:30壊れた堰堤 遡行終了 -15:30 駐車場 - 19:30静岡
メンバー
L 一心、 SL 永井、すがポン(1年生)、サトル
山岳部2年生企画 1年生を連れて夏の小川谷を楽しく遡行してきました。
text:永井 photos:永井
8月8日 快晴 気温30度
総話
今回は一心の「小川谷廊下行きましょうよ。」から始まった山岳部2年生の単独企画。それに菅ポンとサトルが加わってくれて4人パーティーに。
8月8日はお盆休み2日目の休み+講習会の情報も入っており沢での渋滞が予想されたが、案の定渋滞した。
最低15パーティー以上は遭遇したと思う。単独、ツアーっぽいパーティー、滝登りパーティー、沢に入らない?パーティー、カップル、夫婦etc...
合計30人以上は遭遇したと思う。その他にも10人超えのパーティーも遡行していたらしくまぁ人気の沢だと改めて実感した。
この日の小川谷は水量が多く菅ポンには難しいと思っていたら、始めのチョックストーンF2の滝以外はノーロープで何とか出来た。
一心は前回来たときに敗退していた場所も難なくクリアしパーティーをリードしていたのは大きな成長では無いだろうか(俺もだけど。)
まぁ気温も高く、とにかく楽しい沢登で事故も無く下山できたのでホッとした気持ちだ。
もりしーが心配していたのは分かっていたが、静岡で会ったときにつまらない冗談で気苦労させたのは申し訳ない。
無事に終わってくれて何よりな沢登りだった。
■反省点■
・菅ポンがヘルメットを忘れる→先輩は後輩の装備を点検する義務がある。俺のを貸した。
・下級生の練度→初心者に対して上級生最低2人は必要だろうと改めて実感した。たとえ日帰りでも。
オススメ情報
初めてウエットスーツ(サーフィン用)を使ってみたがとにかく沢登では快適だった。水の冷たさを感じる事も無く、浮力もありガンガン遊べる。
これはオススメだ。
サーフィン用はパドル(泳ぎ)に特化した作りになっているので伸縮性があり肩も股関節も動かしやすく滝登りにも支障なし!
ただし、水に浸かるまでは激暑で我慢するか処置が必要。
2010年5月4日火曜日
2010年5月1~4日 鳳凰三山(新歓合宿)
行程
5月1日 静岡=富士=甲府-夜叉神峠登山口-夜叉神峠小屋
5月2日 -大崖頭山-苺平-辻山-南御室小屋
5月3日 -薬師岳-観音岳-賽ノ河原-地蔵ヶ岳-南御室小屋
5月4日 -夜叉神峠小屋-夜叉神峠登山口-甲府=富士=静岡
メンバー
L:峯尾 SL:小田切、室伏 M:山口、大西、菅谷、真田、西田
新歓合宿として、鳳凰三山に行ってきました。
text:峯尾 photos:山口
5月1日 快晴
8:50東静岡発-10:19富士発-13:45甲府着-15:40夜叉神峠登山口着16:20登山口発-17:20夜叉神峠小屋
予定では6:00に東静岡を出発することになっていた。しかし、メンバー間の連絡不足で出発が遅れ、8:50に東静岡を出発した。結局、甲府に着いたのが13:30で、予定より4時間も遅れてしまった。
甲府に着いた後、タクシーで登山口まで行き、共装を分けて出発。約1時間、緩やかな登りが続き、夜叉神峠小屋に着く。
夕食後、西田の持ってきたカードゲームで遊ぶ。21:00就寝。
5月2日 快晴
5:00起床7:00出発-xx:xx大崖頭山-10:52苺平-11:40辻山-13:00南御室小屋
7:00に出発し南御室を目指す。2000m付近で雪が出始める。天気が良く、白峰三山がはっきり見える。2200m付近まで来ると、踏み固められた雪がところどころ氷となっていた。
そこで、自分の指示で、1年生だけアイゼンを着けて登ることにした。しかし、アイゼンなしでも問題なく登ることができ、自分の経験不足を実感した。大崖頭山では立ち止まらずに通過した。
苺平手前の約2450m地点は開けていて、天気もいいので、近くにいたおじさんに集合写真をとってもらった。案内版には、苺平まで約40分と書かれていたが、1時間近くかかってしまった。1年生は慣れない冬靴での歩きで、少し疲れているように見えた。
苺平からは南御室小屋までのルートが二つに分かれている。辻山東の斜面をトラバースするルートと辻山山頂を経由するルートだが、せっかくだから辻山経由で行くことにした。辻山まではトレースがあったが、トラバースルートに比べると少ない。樹林帯の、広く緩やかな尾根を登っていくと視界が開け、辻山山頂に出る。ここも見晴らしがよい。ここで休憩し、南御室小屋に向かう。
南御室小屋に着き、テントを張る。整地不足の為か、テントの床がでこぼこしていた。1年生3人は、かまくらを作っていた。夕食前近くのテントのおじさんに鯖の大根漬けを貰った!!さっぱりとした味でとてもおいしい。21:00就寝。
5月3日 快晴
4:00起床6:00発-7:35薬師岳-8:06観音岳-10:00賽ノ河原・地蔵ヶ岳-12:45南御室小屋
テントを出ると先日より寒く感じた。この日は地蔵ヶ岳までピストンする予定で、使わない物はテントにデポした。小屋を出発してすぐの斜面は急で、慎重に登る。その後1時間ほど緩やかな尾根が続いて薬師岳小屋に着く。そこから、少し登ってコルに降り、また少し登って薬師岳の山頂へ。ここでも集合写真を撮る。
観音岳にはコルを挟んで45分くらいで着いた。山頂には沢山の人がいてザックの置き場に困るほどだった。観音岳から稜線沿いに下る。コルの手前で結構急な斜面が現れた。ステップが作られていたが、転ぶとやばいので慎重に下る。
地蔵ヶ岳手前の2750mピークの手前で、ピークに登る人と巻く人で別れる。ピークまでは急登だが、そこから賽ノ河原への下りは緩やか。下りは踏み跡がなく楽しい。賽ノ河原で休憩し、地蔵ヶ岳・オベリスクの肩まで登る。オベリスクに登ろうとしたが、フィックスロープがぼろかったので引き返した。賽ノ河原に戻り、南御室に向けて出発する。2時間ほどかけてテン場に戻る。
気象通報までのんびりしていた。夕食後、就寝。
5月4日 曇りのち晴れ
4:00起床6:30出発-10:00夜叉神峠登山口12:00登山口発-12:xx甲府=富士=17:xx東静岡
テントを撤収し出発。夜叉神峠までほとんど下りで楽だった。登山口に降りたとき、予約していたマイクロバスが来るまで時間に余裕があったので温泉に浸かる。
マイクロバスで甲府駅まで行き、吉野家で昼食後、静岡に帰った。
総括
今回の山行は最初から最後まで天気が良かった。5月連休では珍しいことらしい。鳳凰三山を十分に楽しむことができた。 しかし、反省点が二つある。一つは出発前にメンバー間の連絡不足でごたごたしていたこと。当日の行動予定を皆にきちんと伝えていなかったのが原因。もう一つは、自分の判断の甘さ(アイゼンを着けるタイミングなど)によって無駄に時間を使ってしまったことである。
2010年3月30日火曜日
2010年3月25~30日 春合宿:鹿島槍ヶ岳東尾根
行程
3月25日 静岡ー駐車場ー東尾根1320m地点
3月26日 -1の沢頭ー2の沢頭ー2295m地点
3月27日 -第一岩峰取り付きー第二岩峰取り付き
3月28日 停滞(フィックス工作)
3月29日 停滞
3月30日 ー第二岩峰頭ー鹿島槍ヶ岳北峰ー南峰ー冷池山荘ー赤岩尾根ー駐車場
メンバー
L:ヘイキ SL:森下 M:佐々木
憧れだった鹿島槍ヶ岳東尾根に行ってきた。雪が大変多く、激しい山行だった 予定ではキレット経由で五竜岳に行き、遠見尾根を下る予定だった。 様々なアクシデントがあり、考えなければならないことがたくさん出てきた山行だった。
text:森下 photos:森下
3月25日 雨のち雪
6:50静岡ー13:30駐車場14:30発ー15:35東尾根1320m地点
大谷原駐車場に近い道には、普通に猿が集団でブラブラしていた。駐車場への道は封鎖されていたが、そっとどかして奥まで行かせていただいた。 ここは登山計画書を出すポストがなく、結局出さずに行ってしまった。こういうのはきちんとするべきだった。
奥にはもう1台車が置いてあった。トイレはつかえた。駐車場の気温はー2℃だった。生憎の雪であったが、出発。
駐車場のすぐ近くの橋を渡ると、すぐに東尾根冬季ルートの看板があった。なんとなくそれ通りに行くのがシャクだったので、あえて少し過ぎたところから尾根に入った。
尾根の最初は違うコースだったせいか猛烈な急登だった登り切って尾根上に出ると、上はなだらかだった。 尾根を少し登り、平らな所にテントを張った。
この日の天気図は三陸沖に前線を伴った低気圧があり、それが雪を降らせたんだなぁと思った。中国に高気圧がいたので、次の日西高東低だろうかと予想。 ちなみにこの日はフィリピンに台風1号が発生していた。
夕食はぺミカンのハヤシライスを食べた。森下のぺミカンは具がでかくて幸せだったが、重かったのでこの日に食べた。
駐車場の橋
3月26日 曇り時々晴れ
3:00起床4:30発-7:20一の沢頭7:35ー9:00二の沢頭9:30ー10:452295m地点
朝の気温はー8℃だった。視界はあまりよくなかった。
一の沢頭までは樹林帯で、そこまで激しいもなく行けた。ただ、一の沢頭の後からは膝上ラッセルで進んだ。
天気は一瞬晴れ間が見えることはあるが、ほぼ曇りで所々視界はかなり悪かった。 途中で雪が非常に深い急登があり、足が埋まったケンケンさんが足を抜くときに勢い余って10mほど滑落した。滑落というよりも転んで落ちた感じであったが。 とにかく、危険個所ではメンバー全体で注意を喚起しあわねばならないと思った。
二の沢頭には予想より早く着き、テントは張れそうだし天気もいまいちだし泊ってもよかったが話あってもう少し進んだ2295m地点も平らそうなので、とりあえずそこまで行くことに決めた。
2295地点に着くともはやホワイトアウト目前だったが、少し天候が回復するのを待ってみた。しかし一向に回復する様子がないので、テントを張ることに。
ここで文登研で教わった弱層テストとハンドテストを行った。20cm、50cmのところで少し切れたが、そこまで問題はないように思えた。
あまりにも行動終了が早かったので、ポーカーをした。ケンケンさんが無敵の運を発揮し、2人をボコボコにした。
この日の天気図は東シナ海に高気圧があったが、すぐ後ろに低気圧があり、予測は難しかった。
夕飯はビーフシチューを食べた。もちろんぺミカンである。
後ろの雲海がかっこいいケンケンさん
3月27日 晴れのち雪
3:30起床5:50発-6:45第一岩峰取り付きー10:00第二岩峰取り付き
朝の気温はー11℃、天気も視界もこの時は良好だった。ちなみに日の出は5:42だった。
第一岩峰はヘーキさんリードで行った。 表面は氷に少し近く、思いっきり蹴りこまなければうまく登れなかったため、足がパンプした。 途中まではそこまでひどく急な斜面ではなかったが、頂上に近づくにつれ斜度が上がり、最終的には雪壁に近かった。
フォローはケンケンさんがユマールで行き、最後に森下がセカンドの形で行った。 ヘーキさんのアイゼンが先が少し丸くなっていて、辛いと言っていた。厳しいところに行く時は装備のケアが大切だと思った。
第一岩峰を7:50に登り終え、第二岩峰を目指した。第二岩峰までの道のりは雪庇が多く、注意が必要だった。ラッセルもかなりきつかった。 第二岩峰の取り付きはテントが張れそうだったが、時間はまだあるし視界も何とかあったので、森下がザックを背負ったままで登ってみた。 10:20頃から様々な方法で登ることを試みるが、途中に背丈以上のキノコ雪があったり、完全に凍ってる斜面があったりして苦労した。
11:50に途中にぶら下がっていた長いフィックスをつかんだらそれが切れて、20mほど落ちたが、残地がしっかりしていたために止まった。 ザックがクッションになったので怪我も全くなかった。ここで天候も悪くなったのであきらめてテントを張ることにした。
13:00には全員がテントに入れた。荷物を整理した後やることもなく時間が余ったので、またポーカーをやった。今回は森下、ヘーキさんがケンケンさんを負かした。
天気図は日本の周りに高気圧と低気圧が大量発生していて全く明日の天気はわからない感じだった。 夜はヘーキさんの激辛カレーだった。辛いもの苦手な森下は汗かきすぎて顔の毛穴が痙攣していた。貴重な水分がもったいない。でもおいしかった・・・と思う。
3月28日 吹雪時々曇り
3:30起床、7:30二度目の起床ー12:00フィックス工作開始13:15完了
朝起きてみたものの、テントの壁が雪で大分押されていて天気も最悪だったので、二度寝した。 7:30に起きてみるも、天気はあまり回復はしていなかった。
朝ごはん(レーション)を食べ、回復を待つもののラジオでは天気は一時回復するが総合的には荒れるとの予報。 9時台の天気図もとったが、どう見ても西高東低で、この日は動けなそうだった。
昼ごろに天気かよくなったので、ザックを背負ったままリードで登るのは困難と判断したので森下が空身でフィックスを張った。
ルートは最初に左側の斜面をトラバースしてルンセを上がり、その後チムニーを超えて頂上のフィックスに向かっていった。 途中氷をホールドにしたときは生きた心地がしなかった。また、残地は全て埋まっていたので掘り出すのだけでも一苦労だった。 チムニーを上がるときに足を上げすぎて危ない体勢になって怖かった。ビレーの二人はもっと怖かったらしい。
最後のフィックスへ行くまでの岩は、氷で覆われていたために非常に怖かった。フィックスが凍っていて掘り出す時もドキドキした。フィックスはかなりしっかりしていた。
天気図は中国に高気圧があったのでもしかして明日は日本に高気圧がはりだして天気が良くなるのではと期待したが、ラジオの天気予報では明日は真冬型の天気になると言っていた。
夜はビーフシチューを食べた。辛くなくてうまかった。 19:30までポーカーをし、ケンケンさんの圧勝で幕を閉じた。
3月29日 雪時々吹雪
3:30起床
朝は気温ー10℃。 朝ご飯を4:30に食べ終えたが、食べてるときにラジオでは真冬型とのこと。外は吹雪。この日は一日停滞。
天気は明日だけ晴れ、その後また崩れるとのこと。どう考えてもキレットは不可能なので、悔しいが赤岩尾根を下りることに決定。
確かに天気図も翌日は良さそうだがすぐに崩れそうだった。書いてる時に、ラジオなしでも天気予報ができるようになりたいと思った。
3月30日 吹雪のち晴れのち曇り
3:30起床7:40発ー9:40第二岩峰頭ー12:15鹿島槍ヶ岳北峰ー13:00南峰ー14:45冷池山荘ー15:30赤岩尾根分岐ー17:00滑落ー20:00駐車場
朝の気温はー15℃。風も雪も激しかった。 天候の回復を待って出発。明日から崩れるのは分かっているのでこの日しかない。
フィックスを頼りに最初にヘーキさんが行き、次にケンケンさんが行き、最後に森下が行った。まさかフィックスを張るとは思ってなくユマールは1つしかなかったので、森下とヘーキさんはクレムハイストノットで行った。 時間は全員一人40分くらいで突破。フィックスの突破は不慣れである上に、ルートも難しいのでしょうがない。
今思えば森下がフォローで行けばよかったと心から思う。とにかくスリングだけでのフィックスはきつかった。完全に腕がパンパンになった。
第二岩峰の上に出ると鹿島への稜線が非常にきれいで、感動した。ここでワカンに履き替えた。
鹿島までの道のりも膝上ラッセル時々腰ラッセルで、急登は手で必死にかき分けながら進んだ。しかし残りが短いとわかってる激しいラッセルはテンションがあがる。斜面が氷っぽくなる前にアイゼンに付け替える。
山頂は天気は良かった。北峰もよく見えた。しかし風が非常に強かった。真冬型のときに突っ込んでいたらあんなもんではなかっただろうと思うと恐ろしい。 北峰への登りは斜面がここまでで一番凍っていて、恐ろしい斜面だった。ヘーキさんはガンガン進んでいて、やっぱりすごいなぁ~と思った。
北峰は南峰の時よりも天候が安定していたので、写真を撮りまくった。
冷池山荘へ行く稜線上に見たことないような巨大な雪庇がたくさん見れておもしろかった。
北西方向には去年の新歓で行った毛勝や剱が見えた。冬季小屋はなかなか広くてきれいだった。テントが2,3張りは張れそうだった。
赤岩尾根に入るところだけは斜面が凍っていたのでアイゼンを装着。 地形図で見る印象よりも枝尾根が多くてはるかに迷いやすそうな尾根だったと思う。
樹林帯の途中でヘーキさん→森下→ケンケンさんの順で歩いていたときに、森下のワカンが緩んでいたので締め直すためにケンケンさんに先に行ってもらった。 このすぐ後にケンケンさんが急な斜面で10mほど滑落し、木で止まった。
トレースを追っていた森下がケンケンさんが落ちたことに気づかず同じ所で踏み跡を踏んでしまい滑落。 森下はそのままケンケンさんの上に落ち、上に跳ねてそのまま下に横向きに転がりながら滑落。 記憶が曖昧だが、命だけは守らねばと腹部を手で覆いながら体を丸めたと思う。
落下地点からおよそ50mのところで運よく雪が大量に溜まったところがあり、そこで止まった。
落ちた自分自身は覚えていないのだが、止まって第一声は「ちっくしょー」だったそうだ。その後大声で叫び、助けを呼んだ。
頭はヘルメットで保護されていたので大丈夫だったが、途中で顔を強打して右の前歯がきれいに抜け、その右の歯が内側に45度くらい曲がっていて、頬も腫れていて右の眼が少し充血していた。 両膝もぶつけたらしく、特に左ひざは最初は立ち上がれないくらい痛かったが、少しすると歩けるレベルにはなった。
止まった場所はコースから比較的近くにあったので、すぐにヘーキさんがトラバースしてきてくれた。そこでカッパを左ひざに巻いて何とか尾根の上に戻った。 ケンケンさんは森下の落ちた跡を下り、同じように止まった地点からトラバースした。ケンケンさんは右足を打っていたが、歩けたので森下の荷物をケンケンさん、ヘーキさんで分けてもらい、森下は左ひざをテーピングでガチガチに固定して下山した。
体の節々は痛かったが、歩けないほどではなくて本当によかった。
尾根の終わりまでまではゆっくりと慎重に下って行った。意外と近かった気がする。正直無我夢中であまり時間の感覚は覚えていない。
林道に出るととてもほっとした。林道は平地なので膝が曲がらないととても歩きづらかった。 荷物を持ってくれていた二人はもっとしんだかっただろう。文句も言わずに持ってくれて本当に感謝しています。
車に着き、そのまま近くの夜間救急に行くものの、口腔外科がないため処置ができないと言われ、松本の相澤病院まで1時間かけて行った。
夜間救急では応急処置と頭や内臓の検査をした。不幸中の幸いにも体の中は右の頬骨が折れた以外異常なかった。 その日はそのまま入院をし、次の日にいろんな科で検診をしてもらった。抜けたり曲がったりした歯を戻す簡単な手術をして、静岡に帰った。
総括
山の事故は下りで起こるとよく言われるがこういうことか、と実感した。
鹿島槍の東尾根を登れたことは素直にうれしかった。ただそれ以上に自分たちの山に対する考えの甘さが露呈した山行だった。
文登研で講師の先生にに「死なない程度の怪我をしてほしい」と言われたが、その通りになった。今思えば貴重な経験ができたと思っている。
今回の反省点として登山計画書を持っていたのに出さなかったことが一番の反省として挙げられると思う。
今回は遭難事故まで至らなかったが、もしも遭難になった場合地元の警察、大学、OB、部員、家族などの大勢の方々に迷惑がかかっていたことだろう。
自分たちがいいならいいという考えが多少なりあった。そんな考えでは自分には山登りをする資格がないと思った。
せっかくの機会なので、ほかの部員もこれを読んで少しでも思ったことがあるとうれしい。
3月25日 静岡ー駐車場ー東尾根1320m地点
3月26日 -1の沢頭ー2の沢頭ー2295m地点
3月27日 -第一岩峰取り付きー第二岩峰取り付き
3月28日 停滞(フィックス工作)
3月29日 停滞
3月30日 ー第二岩峰頭ー鹿島槍ヶ岳北峰ー南峰ー冷池山荘ー赤岩尾根ー駐車場
メンバー
L:ヘイキ SL:森下 M:佐々木
憧れだった鹿島槍ヶ岳東尾根に行ってきた。雪が大変多く、激しい山行だった 予定ではキレット経由で五竜岳に行き、遠見尾根を下る予定だった。 様々なアクシデントがあり、考えなければならないことがたくさん出てきた山行だった。
text:森下 photos:森下
3月25日 雨のち雪
6:50静岡ー13:30駐車場14:30発ー15:35東尾根1320m地点
大谷原駐車場に近い道には、普通に猿が集団でブラブラしていた。駐車場への道は封鎖されていたが、そっとどかして奥まで行かせていただいた。 ここは登山計画書を出すポストがなく、結局出さずに行ってしまった。こういうのはきちんとするべきだった。
奥にはもう1台車が置いてあった。トイレはつかえた。駐車場の気温はー2℃だった。生憎の雪であったが、出発。
駐車場のすぐ近くの橋を渡ると、すぐに東尾根冬季ルートの看板があった。なんとなくそれ通りに行くのがシャクだったので、あえて少し過ぎたところから尾根に入った。
尾根の最初は違うコースだったせいか猛烈な急登だった登り切って尾根上に出ると、上はなだらかだった。 尾根を少し登り、平らな所にテントを張った。
この日の天気図は三陸沖に前線を伴った低気圧があり、それが雪を降らせたんだなぁと思った。中国に高気圧がいたので、次の日西高東低だろうかと予想。 ちなみにこの日はフィリピンに台風1号が発生していた。
夕食はぺミカンのハヤシライスを食べた。森下のぺミカンは具がでかくて幸せだったが、重かったのでこの日に食べた。
駐車場の橋
3月26日 曇り時々晴れ
3:00起床4:30発-7:20一の沢頭7:35ー9:00二の沢頭9:30ー10:452295m地点
朝の気温はー8℃だった。視界はあまりよくなかった。
一の沢頭までは樹林帯で、そこまで激しいもなく行けた。ただ、一の沢頭の後からは膝上ラッセルで進んだ。
天気は一瞬晴れ間が見えることはあるが、ほぼ曇りで所々視界はかなり悪かった。 途中で雪が非常に深い急登があり、足が埋まったケンケンさんが足を抜くときに勢い余って10mほど滑落した。滑落というよりも転んで落ちた感じであったが。 とにかく、危険個所ではメンバー全体で注意を喚起しあわねばならないと思った。
二の沢頭には予想より早く着き、テントは張れそうだし天気もいまいちだし泊ってもよかったが話あってもう少し進んだ2295m地点も平らそうなので、とりあえずそこまで行くことに決めた。
2295地点に着くともはやホワイトアウト目前だったが、少し天候が回復するのを待ってみた。しかし一向に回復する様子がないので、テントを張ることに。
ここで文登研で教わった弱層テストとハンドテストを行った。20cm、50cmのところで少し切れたが、そこまで問題はないように思えた。
あまりにも行動終了が早かったので、ポーカーをした。ケンケンさんが無敵の運を発揮し、2人をボコボコにした。
この日の天気図は東シナ海に高気圧があったが、すぐ後ろに低気圧があり、予測は難しかった。
夕飯はビーフシチューを食べた。もちろんぺミカンである。
後ろの雲海がかっこいいケンケンさん
3月27日 晴れのち雪
3:30起床5:50発-6:45第一岩峰取り付きー10:00第二岩峰取り付き
朝の気温はー11℃、天気も視界もこの時は良好だった。ちなみに日の出は5:42だった。
第一岩峰はヘーキさんリードで行った。 表面は氷に少し近く、思いっきり蹴りこまなければうまく登れなかったため、足がパンプした。 途中まではそこまでひどく急な斜面ではなかったが、頂上に近づくにつれ斜度が上がり、最終的には雪壁に近かった。
フォローはケンケンさんがユマールで行き、最後に森下がセカンドの形で行った。 ヘーキさんのアイゼンが先が少し丸くなっていて、辛いと言っていた。厳しいところに行く時は装備のケアが大切だと思った。
第一岩峰を7:50に登り終え、第二岩峰を目指した。第二岩峰までの道のりは雪庇が多く、注意が必要だった。ラッセルもかなりきつかった。 第二岩峰の取り付きはテントが張れそうだったが、時間はまだあるし視界も何とかあったので、森下がザックを背負ったままで登ってみた。 10:20頃から様々な方法で登ることを試みるが、途中に背丈以上のキノコ雪があったり、完全に凍ってる斜面があったりして苦労した。
11:50に途中にぶら下がっていた長いフィックスをつかんだらそれが切れて、20mほど落ちたが、残地がしっかりしていたために止まった。 ザックがクッションになったので怪我も全くなかった。ここで天候も悪くなったのであきらめてテントを張ることにした。
13:00には全員がテントに入れた。荷物を整理した後やることもなく時間が余ったので、またポーカーをやった。今回は森下、ヘーキさんがケンケンさんを負かした。
天気図は日本の周りに高気圧と低気圧が大量発生していて全く明日の天気はわからない感じだった。 夜はヘーキさんの激辛カレーだった。辛いもの苦手な森下は汗かきすぎて顔の毛穴が痙攣していた。貴重な水分がもったいない。でもおいしかった・・・と思う。
3月28日 吹雪時々曇り
3:30起床、7:30二度目の起床ー12:00フィックス工作開始13:15完了
朝起きてみたものの、テントの壁が雪で大分押されていて天気も最悪だったので、二度寝した。 7:30に起きてみるも、天気はあまり回復はしていなかった。
朝ごはん(レーション)を食べ、回復を待つもののラジオでは天気は一時回復するが総合的には荒れるとの予報。 9時台の天気図もとったが、どう見ても西高東低で、この日は動けなそうだった。
昼ごろに天気かよくなったので、ザックを背負ったままリードで登るのは困難と判断したので森下が空身でフィックスを張った。
ルートは最初に左側の斜面をトラバースしてルンセを上がり、その後チムニーを超えて頂上のフィックスに向かっていった。 途中氷をホールドにしたときは生きた心地がしなかった。また、残地は全て埋まっていたので掘り出すのだけでも一苦労だった。 チムニーを上がるときに足を上げすぎて危ない体勢になって怖かった。ビレーの二人はもっと怖かったらしい。
最後のフィックスへ行くまでの岩は、氷で覆われていたために非常に怖かった。フィックスが凍っていて掘り出す時もドキドキした。フィックスはかなりしっかりしていた。
天気図は中国に高気圧があったのでもしかして明日は日本に高気圧がはりだして天気が良くなるのではと期待したが、ラジオの天気予報では明日は真冬型の天気になると言っていた。
夜はビーフシチューを食べた。辛くなくてうまかった。 19:30までポーカーをし、ケンケンさんの圧勝で幕を閉じた。
3月29日 雪時々吹雪
3:30起床
朝は気温ー10℃。 朝ご飯を4:30に食べ終えたが、食べてるときにラジオでは真冬型とのこと。外は吹雪。この日は一日停滞。
天気は明日だけ晴れ、その後また崩れるとのこと。どう考えてもキレットは不可能なので、悔しいが赤岩尾根を下りることに決定。
確かに天気図も翌日は良さそうだがすぐに崩れそうだった。書いてる時に、ラジオなしでも天気予報ができるようになりたいと思った。
3月30日 吹雪のち晴れのち曇り
3:30起床7:40発ー9:40第二岩峰頭ー12:15鹿島槍ヶ岳北峰ー13:00南峰ー14:45冷池山荘ー15:30赤岩尾根分岐ー17:00滑落ー20:00駐車場
朝の気温はー15℃。風も雪も激しかった。 天候の回復を待って出発。明日から崩れるのは分かっているのでこの日しかない。
フィックスを頼りに最初にヘーキさんが行き、次にケンケンさんが行き、最後に森下が行った。まさかフィックスを張るとは思ってなくユマールは1つしかなかったので、森下とヘーキさんはクレムハイストノットで行った。 時間は全員一人40分くらいで突破。フィックスの突破は不慣れである上に、ルートも難しいのでしょうがない。
今思えば森下がフォローで行けばよかったと心から思う。とにかくスリングだけでのフィックスはきつかった。完全に腕がパンパンになった。
第二岩峰の上に出ると鹿島への稜線が非常にきれいで、感動した。ここでワカンに履き替えた。
鹿島までの道のりも膝上ラッセル時々腰ラッセルで、急登は手で必死にかき分けながら進んだ。しかし残りが短いとわかってる激しいラッセルはテンションがあがる。斜面が氷っぽくなる前にアイゼンに付け替える。
山頂は天気は良かった。北峰もよく見えた。しかし風が非常に強かった。真冬型のときに突っ込んでいたらあんなもんではなかっただろうと思うと恐ろしい。 北峰への登りは斜面がここまでで一番凍っていて、恐ろしい斜面だった。ヘーキさんはガンガン進んでいて、やっぱりすごいなぁ~と思った。
北峰は南峰の時よりも天候が安定していたので、写真を撮りまくった。
冷池山荘へ行く稜線上に見たことないような巨大な雪庇がたくさん見れておもしろかった。
北西方向には去年の新歓で行った毛勝や剱が見えた。冬季小屋はなかなか広くてきれいだった。テントが2,3張りは張れそうだった。
赤岩尾根に入るところだけは斜面が凍っていたのでアイゼンを装着。 地形図で見る印象よりも枝尾根が多くてはるかに迷いやすそうな尾根だったと思う。
樹林帯の途中でヘーキさん→森下→ケンケンさんの順で歩いていたときに、森下のワカンが緩んでいたので締め直すためにケンケンさんに先に行ってもらった。 このすぐ後にケンケンさんが急な斜面で10mほど滑落し、木で止まった。
トレースを追っていた森下がケンケンさんが落ちたことに気づかず同じ所で踏み跡を踏んでしまい滑落。 森下はそのままケンケンさんの上に落ち、上に跳ねてそのまま下に横向きに転がりながら滑落。 記憶が曖昧だが、命だけは守らねばと腹部を手で覆いながら体を丸めたと思う。
落下地点からおよそ50mのところで運よく雪が大量に溜まったところがあり、そこで止まった。
落ちた自分自身は覚えていないのだが、止まって第一声は「ちっくしょー」だったそうだ。その後大声で叫び、助けを呼んだ。
頭はヘルメットで保護されていたので大丈夫だったが、途中で顔を強打して右の前歯がきれいに抜け、その右の歯が内側に45度くらい曲がっていて、頬も腫れていて右の眼が少し充血していた。 両膝もぶつけたらしく、特に左ひざは最初は立ち上がれないくらい痛かったが、少しすると歩けるレベルにはなった。
止まった場所はコースから比較的近くにあったので、すぐにヘーキさんがトラバースしてきてくれた。そこでカッパを左ひざに巻いて何とか尾根の上に戻った。 ケンケンさんは森下の落ちた跡を下り、同じように止まった地点からトラバースした。ケンケンさんは右足を打っていたが、歩けたので森下の荷物をケンケンさん、ヘーキさんで分けてもらい、森下は左ひざをテーピングでガチガチに固定して下山した。
体の節々は痛かったが、歩けないほどではなくて本当によかった。
尾根の終わりまでまではゆっくりと慎重に下って行った。意外と近かった気がする。正直無我夢中であまり時間の感覚は覚えていない。
林道に出るととてもほっとした。林道は平地なので膝が曲がらないととても歩きづらかった。 荷物を持ってくれていた二人はもっとしんだかっただろう。文句も言わずに持ってくれて本当に感謝しています。
車に着き、そのまま近くの夜間救急に行くものの、口腔外科がないため処置ができないと言われ、松本の相澤病院まで1時間かけて行った。
夜間救急では応急処置と頭や内臓の検査をした。不幸中の幸いにも体の中は右の頬骨が折れた以外異常なかった。 その日はそのまま入院をし、次の日にいろんな科で検診をしてもらった。抜けたり曲がったりした歯を戻す簡単な手術をして、静岡に帰った。
総括
山の事故は下りで起こるとよく言われるがこういうことか、と実感した。
鹿島槍の東尾根を登れたことは素直にうれしかった。ただそれ以上に自分たちの山に対する考えの甘さが露呈した山行だった。
文登研で講師の先生にに「死なない程度の怪我をしてほしい」と言われたが、その通りになった。今思えば貴重な経験ができたと思っている。
今回の反省点として登山計画書を持っていたのに出さなかったことが一番の反省として挙げられると思う。
今回は遭難事故まで至らなかったが、もしも遭難になった場合地元の警察、大学、OB、部員、家族などの大勢の方々に迷惑がかかっていたことだろう。
自分たちがいいならいいという考えが多少なりあった。そんな考えでは自分には山登りをする資格がないと思った。
せっかくの機会なので、ほかの部員もこれを読んで少しでも思ったことがあるとうれしい。
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